HOME 東京・東京周辺 神奈川近郊 長い歴史を持つ大山詣りと白洲次郎が暮らした古民家めぐり |元ミシュラン社長室長のぶらりもりた④
長い歴史を持つ大山詣りと白洲次郎が暮らした古民家めぐり |元ミシュラン社長室長のぶらりもりた④

長い歴史を持つ大山詣りと白洲次郎が暮らした古民家めぐり |元ミシュラン社長室長のぶらりもりた④

公開日: 2018/10/26
更新日: 2018/12/14

旅行ガイド・グルメガイドでも有名な世界的なタイヤメーカー、ミシュラン社。このミシュラン社のフランス本社に勤務し、日本旅行のおすすめスポットを紹介する『ミシュラン・グリーンガイド・ジャポン』制作の際にも日本各地を視察して回ったのが、ミシュラン社で社長室長を務めた森田哲史さんです。欧米人の嗜好をよく知る森田さんが、欧米目線から見た日本人の知らない日本の魅力を伝える「ぶらりもりた」も今回で四回目。

さて、今回のお目当ては、神奈川県・伊勢原市の「大山」と、東京都町田市にある白洲次郎・正子が暮らした家「武相荘」。ドイツ出身のLIVE JAPANスタッフ・パメラとめぐります。

「伊勢原駅」からバスで大山の玄関口へ。大山の歴史理解を深める

「伊勢原駅」からバスで大山の玄関口へ。大山の歴史理解を深める
小田急小田原線「伊勢原駅」へは、新宿駅からロマンスカーで約1時間(1210円)

今回の集合地は小田急小田原線の「伊勢原駅」。北口でパメラと合流します。

森田:「こんにちは、パメラ。今日は大山へ行こう。小田急小田原線沿線の観光というと、箱根がやっぱり有名だと思うけど、大山も日本人はもちろん、外国人にも、とても魅力的な場所なんだ。早速山のふもとまでバスで向かおう」

森田:「まずこの山の歴史を知って欲しいんだけど、大山は古くから日本人に親しまれてきた山なんだ。常に山上に雨雲をたたえていたところから“雨降山(あめふりやま)”、“阿夫利山(あふりやま)”とも呼ばれていたんだよ。古代の人たちは、その雄大な姿に神の存在を感じていたんだ。雨は恩恵でもあり、災いのもとにもなるよね。だから縄文時代の昔から、日本人はこの山に棲む神を大切に祀ってきたんだよ。こういう信仰が神道の基盤になったんだね」

パメラ:「大山は昔から信仰されていたんですね」

森田:「そう。大山では自然信仰や神道・仏教が渾然となった、神仏一体の山岳信仰が形成されていたんだよ。山頂にあった巨石を『石尊大権現(せきそんだいごんげん)』という神様として祀り、仏教と共に信仰していたんだ。ここで修験者と言われる山伏が集まって修行をしていたんだよ。この山伏たちの勢力は、時の施政者たちにとっても無視できないものだったんだよ。1192年に鎌倉に幕府を開いた源頼朝は大太刀を奉納して大山信仰を保護していたんだ。逆に、江戸幕府を開いた徳川家康は、反抗的でもあったこの山伏たちをすべて下山させ、大山寺を真言宗の学習僧たちの場に代えたんだんだよ」

パメラ:「今日は大山にある大山寺と阿夫利神社、お寺と神社に行くのですよね」

森田:「そう。明治の頃に神社とお寺が分離されて、今は別々に存在しているんだよ」

27段の踊り場と、362段の階段からなる“こま参道”。江戸の庶民のお楽しみ、“大山詣り”はここから始まる

神奈中バス「伊勢原駅北口」から出発し、「大山ケーブル」停留所で降車。そこからはこま参道を歩きます。

パメラ:「両脇に土産物店や旅館が並んでいますね。先導師と書かれた看板が多いですね」

森田:「この大山は、江戸時代になると庶民の信仰の対象となって、ある種の観光地となっていたんだ。みんな“講”というシステムを使ってお金を集めて、“大山詣り”にやってくるのが大流行したんだよ。江戸から歩いて2〜3日で行けて、箱根の関所を越える必要もないということで、江戸の庶民の行楽地として最適だったんだね。赤坂から渋谷、二子玉川と続く246号線はもともとは『大山道』と言って、大山に通じる道だったんだよ」

パメラ:「江戸時代の人々が246号線を通って歩いてきていたんですか」

森田:「その庶民の泊まる宿の主人の多くは、先導師と呼ばれていたんだ。さっき説明したように徳川家康の命令で山伏たちが大山から下山させられたんだけれど、その山伏たちが“先導師”という今で言うツアーコンダクターのような存在になったんだよ。彼らは神職なんだけど、参詣の勧誘や寺社への道案内から遊興の手配までしていたんだ」

パメラ:「神職が旅行のプロデューサーだったんですね」

森田:「神と仏、聖と俗を渾然一体と受け入れる、これも日本的な考え方かもしれないね」

パメラ:「この“講”というのはなんですか?」

森田:「“講”というのはもともと、お寺に集まる仲間たちのことを指す言葉なんだけど、だんだんとみんなでお金を出しあって助け合うグループのことを意味するようになったんだ。“大山講”として、仲間たちがお金を出しあって、団体で大山詣りにやってきたんだよ。大山には水や石に縁の深い職業の火消しや鳶、刀鍛冶といった人々が、“講”を組んで一緒に訪れていたそうだよ」

雨降山大山寺。廃仏毀釈の歴史を学び、土器投げで厄除け体験

雨降山大山寺。廃仏毀釈の歴史を学び、土器投げで厄除け体験

こま参道を通り、大山ケーブルカーの「大山ケーブル駅」に着いた森田さんとパメラ。ここからケーブルカーに乗り、途中の「大山寺駅」で下車。まずは雨降山大山寺へ参拝します。

森田:「大山寺は西暦755年の奈良時代に創建された歴史あるお寺。もともとはこの後に行く阿夫利神社の下社がある場所にあったんだけど、明治初年(1868年)の廃仏毀釈令を経て、明治6年(1873年)にこの山の中腹に移転し、大正4年(1915年)に大山寺という寺号が復活したんだよ」

パメラ:「ハイブツキシャクレイとは何ですか?」

森田:「明治以前の日本では、お寺と神社が一緒になっていることが多かったんだ。でも天皇を旗頭とする明治の新政府にとっては、『天皇が日本の神様の子孫である』と言っている神道がとても重要だったんだね。だから、神道を日本の宗教とするため、一部狂信的になった人たちによって仏像や本堂さえも壊されたお寺もあったんだ。この大山寺の諸堂もその時に壊されたんだよ。そうして一度は破壊された大山寺だけれど、江戸時代から根付いていた強い信仰に支えられ、ご本尊の大山不動像や数々の寺宝はなんとか破壊を免れたんだ。そして信者たちの寄進によって、現在の位置に本堂や伽藍が再興されたんだよ」

この後、森田さんとパメラと厄除けの『土器投げ(かわらけなげ)』にチャレンジ。残念ながら、二人とも福輪を通すことはできませんでしたが、厄除けを楽しんでいたようです。

大山寺
神奈川県伊勢原市大山724
最寄り駅:大山ケーブルカー「大山ケーブル駅」
TEL:0463-95-2011

大山阿夫利神社で、江戸時代から続く“大山講”の歴史を体感

大山寺を後にした森田さんとパメラは、再び大山ケーブルカーに乗り「阿夫利神社駅」まで登ってきました。大山阿夫利神社下社への参道の途中のお茶屋さんに差し掛かった時、お揃いの行衣(ぎょうゆ)に身を包んだ、いなせな男性たちに遭遇しました。白い行衣の襟元には“め組”という文字が入り、背中には“め”という文字の入った籠模様が染め抜かれています。

パメラ:「このお揃いの衣装、素敵ですね。め組とは何ですか?」

男性:「め組っていうのは江戸の町火消しだよ。江戸には“いろは四十八組”という48の火消しのチームがあって、今でいう芝から浜松町辺りまでは、“め組”が担当していたんだ。外国人のお嬢さんには馴染みが薄いかもしれないけど、“め組”っていうとけっこう知られた存在だよ」

森田:「今もめ組があるんですね。今日は皆さんで大山詣でですか?」

男性:「今は江戸消防記念会っていう一般社団法人になってるけどね。毎年8月3日にはめ組の一同が連れ立って大山に参るっていうのが、江戸時代から300年くらい続いてる伝統なんだよ」

そう、森田さんたちが大山詣でをした8月3日は偶然にもめ組の皆さんの大山詣での日に当たっており、タイミングよくお茶屋さんで休憩している皆さんに出会うことができたのでした。

森田:「パメラ、さっき説明した“講”を体現しているのが、まさにめ組の人たちだよ」

め組の皆さんとの偶然の出会いに興奮しつつ、二人は大山阿夫利神社の下社へ。この大山阿夫利神社は紀元前97年頃の創建と伝えられており、現在の下社は明治初期の廃仏毀釈後に新たに建立されたものになります。

森田:「現在の大山阿夫利神社に祀られているのは、山の神・水の神である“大山祇大神(オオヤマツミ)”と雷の神である“大雷神(オオイカツチ)”、そして水の神である“高龗神(タカオカミ)”。いつも雲がかかっている雨降山こと大山にふさわしく、山・水・雷の神様が祀られているんだよ」

この大山阿夫利神社は源頼朝が大太刀を奉納したことでも知られており、それゆえに江戸時代以降も大きな木太刀を“納太刀(おさめだち)”として奉納する人々も多かったのだとか。特別のお計らいにより、その納太刀をもたせていただきました。

パメラ:「木製だから思ってたより軽いけど、これを江戸から歩いて運んできたと考えると、かなり大変ですよね」

森田:「この納太刀を運ぶ様子が浮世絵にも残されているんだよ。江戸時代の人たちの間では立派で粋な大太刀を納めることが流行して、6メートル、7メートルの長さの太刀をかついできた人たちもいたと言うよ」

森田:「この下社拝殿の地下からは御神水が湧き出ていて、飲むことができるんだよ。殖産・長命延寿の泉として愛飲されているそうだよ」

パメラ:「冷たくっておいしい!大山の恵みを感じますね」

この後森の中を30分ほどハイキングを楽しみ、見晴台へ登った二人。相模湾・江ノ島・三浦半島を一望できるこの見晴台で、ゆっくりと大山の自然を満喫し、その景色に見入っていました。

大山阿夫利神社
神奈川県伊勢原市大山355
最寄り駅:大山ケーブルカー「阿夫利神社駅」
TEL:0463-95-2006

大山名物の豆腐を使ったヘルシーなパンケーキでエネルギーチャージ

ハイキングを楽しんだ後、阿夫利神社下社から少し階段を降りたところにあるリノベーションカフェ「kurumi」で休憩することに。

昔ながらの茶店をリノベーションして作られたこのカフェ、やさしい自然の風が心地よく、とても落ち着ける空間となっています。

パメラ:「ここのお店は大山豆腐を作ったパンケーキが名物なんですね。大山豆腐とはどんなものなんですか?」

森田:「大山詣での人々が先導師に謝礼の代わりに大豆を納める風習があって、大山には大豆がたくさんあったんだ。その大豆と、大山に湧く軟水を利用して豆腐が作られるようになったんだよ」

今回パメラたちがいただいたのは、一番人気という「大山豆腐パンケーキ キャラメルフォンデュ」(1100円/税込)。熱したキャラメルソースにパンケーキをからめていただきます。

パメラ:「甘くておいしい! 疲れた体にキャラメルソースがしみますね」

このパンケーキにはあらく潰した絹ごしの大山豆腐が入っています。牛乳の代わりに水分の70%が豆腐になっているので、もっちりとしてローカロリー。とてもヘルシーなパンケーキなのです。大山の軟水を利用し、一杯一杯ドリップしたコーヒーも大好評だとか。

大山豆腐スイーツとコーヒーで疲れた体を癒した二人。ケーブルカーで下山して、神奈中バスで伊勢原駅に戻り、次の目的地を目指します。

kurumi from woodcraft
神奈川県伊勢原市大山12
TEL:0463-73-8239
営業時間
[月~金] 9:00~16:00
[土・日・祝] 9:00~16:30
定休日:なし
小田急小田原線「伊勢原駅」よりバスで20分、大山ケーブルカー「阿夫利神社駅」より徒歩すぐ

白洲次郎と正子の愛した『武相荘』で彼らの美意識とスタイルを堪能

大山の魅力を堪能した森田さんとパメラは、伊勢原駅から小田急小田原線に乗り、「鶴川駅」まで移動してきました。

パメラ:「鶴川には何があるんですか?」

森田:「鶴川というのは、今は東京都町田市になるけれど、昔は武蔵の国と相模の国の国境にあたる地域だったんだ。太平洋戦争の開始直後から、この鶴川の地の古民家『武相荘』に住んでいた白洲次郎と正子という夫婦がいたんだ。武蔵と相模、それに“無愛想”という言葉をかけて古民家に『武相荘』と名付けて暮らしていたんだよ。大山から少し離れているけど、ここは行く価値がある場所だよ!」

パメラ:「彼らはどういう人だったんですか?」

森田:「白洲次郎と正子について一度説明するね。まず彼は1902年(明治35年)から1985年(昭和60年)という、怒涛の明治・大正・昭和時代を生きて来た男性だよ。彼は綿貿易で大儲けした大富豪の家に生まれ、19歳でイギリスのケンブリッジ大学に留学したんだ。1921年(大正10年)から1928年(昭和3年)までの9年間を欧州で過ごし、上流階級の人々と交流していたんだ。帰国後、1929年に樺山伯爵の次女・正子と結婚したんだよ。

正子も1924年(大正13年)から1928年(昭和3年)までアメリカのハートリッジ・スクールへ留学していた女性なんだ。伯爵令嬢だから、良い調度品に囲まれて育ち、少女時代から“能”に魅了されて育ったというよ。そして天才的な鑑識眼を持つと言われた青山次郎の薫陶を受け、骨董品を見る目も持っていたんだよ」

パメラ:「豊かな教育を受けた、国際的な感覚の夫婦だったんですね」

森田:「結婚後、貿易商で働いた次郎は、1年の半分は海外で過ごしていたそうだよ。その時に、駐イギリス特命全権大使で、24歳も年上だった吉田茂という男と懇意になるんだ。やがて太平洋戦争が始まり、その間、次郎と正子はこの武相荘で暮らしていたわけだけれど、1945年の太平洋戦争終戦後、彼の能力が買われることになるんだよ。さっき挙げた吉田茂は日本の総理大臣にもなった人で、終戦直後は外務大臣となっていたんだ。それで、次郎に終戦連絡中央事務局参与に任命し、あのマッカーサー元帥のいるGHQとの交渉をさせることにしたんだ。欧米文化を理解していた次郎は、GHQから“唯一従順ではない日本人”と評価されていたようだよ。やがて1949年の吉田茂内閣時には貿易庁長官に就任したり、1951年には吉田茂首相の要請でサンフランシスコ講和会議に全権団顧問として随行したりもしたんだ」

次郎について話しながら散策路を抜け、入場券を購入すると、いよいよそこは次郎と正子が暮らした『武相荘』です。今回は、次郎と正子の娘婿として彼らのことをよく知る武相荘の牧山圭男館長に館内をご案内いただきました。

瓦葺きの門をくぐると、右側にかつての穀物倉を改築した建物が。2階は次郎の世界を再現した「Bar & gallery Play Fast」となっています。

森田:「このイングリッシュパブで、次郎もウイスキーを飲んでいたんですか?」

館長:「ここは、次郎の死後に改装して、次郎の世界観を再現したんです。『Play Fast』というのはゴルフ好きだった次郎がプレイ中によく言っていた言葉ですよ」

森田:「さっさとプレイしろ、ということですね(笑)」

敷地の奥にあるのが武相荘の母屋。今では珍しい茅葺き屋根が趣を感じさせます。母屋はミュージアムとなっており、実際に次郎と正子が使っていた愛用品や、正子の蔵書、愛用していた着物などが展示されています。

森田:「次郎の残した実績もすごいものですが、このミュージアムをみていると正子の“美”を見抜く鑑識眼に感服しますね」

パメラ:「家族写真とかは飾られないんですか?」

館長:「個人主義の強い人達だったせいか、家族写真が一枚もないんですよ。僕と妻の結婚披露宴の写真に、偶然に正子が写り込んでいる写真が一枚あるくらいでね。昔話なんかも一度もしない人たちでした」

森田:「娘さんにはどういう教育をされていたんでしょうか」

館長:「西洋人と接する際にはまず『No』と言えと教えていたようですよ。彼は“プリンシプル”という言葉をよく使っていましたね。 “筋を通す生き方”ということですね。西洋人と交渉していく上では、プリンシプルがないとダメだと言っていました」

森田:「僕は次郎さんの残した『戦後は、日本人が本当に心の底から、憲法でも民主主義でも、自分たちのものになったと言える時に初めて終わる』という言葉を大事に語り継いでいかなければならないと思っているんですよ。そう考えると、まだ日本は自立独立していないのかも知れないですよね」

ミュージアムで館長から白洲次郎と正子の思い出をうかがった後、同じ敷地内にあるレストランへ。彼らが好きだったというメニューを特別にご用意していただきました。

森田さんがいただいたのは「武相荘の海老カレー」(2100円/税抜)。このカレーには千切りキャベツが添えられているのですが、生野菜嫌いの次郎さんが、カレールーをかけたキャベツであれば気に入って食べてくれたということで、白洲家のカレーには必ずキャベツが添えられていたそうですよ。

パメラは「次郎の親子丼」(2100円/税抜)をいただきました。親子丼も次郎が大好きな食べ物だったそうです。

※写真はイメージ、通常はスープではなく味噌汁がつきます

(このランチメニューは11:00から15:00までのものとなります。11:00から16:30までカフェ営業となっており、18:00〜20:00のディナーは要予約のコースメニューとなります。詳しくは武相荘ホームページでご確認ください。)

森田:「この『武相荘』には好きなものに囲まれて生きていくための二人の情熱と努力が詰まっていると感じられるよね」

パメラ:「今から何年も昔に、これだけの信念と美意識を持った日本人がいたんですね。彼らのこだわりとライフスタイルには欧米人に共通するものがあります。本当に素敵な家でした」

武相荘
東京都町田市能ヶ谷7-3-2
最寄り駅:小田急小田原線「鶴川駅」
TEL:042-735-5732
開館時間:10:00 〜 17:00(入館は16:30まで)
休館日:月曜日(祝日・振替休日は開館)

Restaurant & Cafe 武相荘
TEL:042-708-8633
ランチ 営業時間:11:00 〜 L.O. 15:00
カフェ 営業時間:11:00 〜 L.O. 16:30
ディナー 営業時間:18:00 〜 L.O. 20:00
定休日:月曜日

相模で、縄文時代から自然信仰の対象となり、江戸時代から庶民に人気を得てきた大山の魅力と信仰の歴史を学び、武蔵の武相荘でプリンシプルを貫いて生きてきた白洲夫妻のライフスタイルを味わった今回のぶらり旅。神と仏を共に信仰し日本人の本質を見極めようとしない無邪気なおおらかさと、本質を追求し続けた夫婦の美しいライフスタイル、相反するようでいてどこか共通する面もある日本人の精神性を垣間見られた、有意義な旅となりました。

Written by:

松村知恵美

松村知恵美

家と映画館(試写室)と取材先と酒場を往復する毎日を送る映画ライター、WEBディレクター。2001年から約8年、映画情報サイトの編集者をやってました。2009年に独立し、フリーランスに。ライターとしての仕事の他、Webディレクションなど、もろもろお仕事させていただいています。

Photo by:

石川ヨシカズ

石川ヨシカズ

1981年神奈川県横須賀市生まれ。フリーカメラマンとして、広告雑誌等で人物写真を中心に活動中。

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