2011年3月11日、14時46分、宮城県沖を震源とするマグニチュード9.0という観測史上最大の地震が発生しました。2019年3月10日、気仙沼市では、津波で大きな被害を受けた気仙沼向洋高校の旧校舎を震災遺構として残し、震災の記憶と教訓を伝える伝承館を併設させた気仙沼市東日本大震災遺構・伝承館を開館しました。地震、津波の恐ろしさを後世に残す施設として注目を集めています。
震災の日、授業を終えた生徒達や先生が残っていた気仙沼向洋高校
地震が起こった時、気仙沼向洋高校では、午前中で授業が終わり、約170名の生徒が部活動などで残っている状況でした。しかし、のどかな放課後の風景を地震が一変させます。生徒たちは教職員の誘導のもと、すぐに高台へ避難、学校の重要書類などは教職員が校舎の4階へ運びました。
気仙沼向洋高校は、海から約500メートルの位置にある高校です。校舎の2階より上に行けば、美しい青い海と緑の松林が望める眺めのよい学舎。周辺には冷凍工場や住宅が並び、沿岸部ではどこでも見られる風景が広がっていましたが、津波はこうした沿岸の風景全てを根こそぎもっていきました。そして強い勢いを保ったまま、校舎の4階にまで、津波は到達します。
気仙沼の防災意識の高さを後世に残す
「当時、学校には約170名の生徒がいましたが、幸い、この学校からは犠牲者は1人も出なかったんですよ」と話すのは伝承館の館長・佐藤克美さん。「日頃から防災への意識が高かった。建物を見ればわかるように、津波の被害は途轍もない。それでも犠牲者を出さずに済んだ先生や生徒の行動、防災意識もまた、後世に伝えていくべきものです」と続けます。
そうしたこともあり、気仙沼伝承館では最初に伝承館の映像コーナーで震災時の映像を見ます。300インチの大型スクリーンに映された映像は、津波の強さ、大きさ、怖さをリアルに伝えてくれます。津波被害への理解が深まったあとは、震災時のまま残る校舎へ向かいます。
流れ着いた瓦礫や車が散乱する教室へ
校舎内で見学できるのは、1階と3、4階。まずは1階の廊下を、各教室を見ながら歩きます。鉄骨はむき出しになり、割れた窓もそのまま。散乱する瓦礫は、鉄もあれば木材もあり、電化製品のようなものも目にとまります。窓を通り海風が潮の香りを運んできた時、この建物が海からわずか500メートルの位置であることを実感。そしてそれは津波への恐怖ともリンクします。
3階へ行くと、教室の壁に逆さになった車が寄りかかっていました。津波によってここまで運ばれてきたのです。津波の最高到達点は4階で、教室に置かれていた鉄製の大きなレターボックスは、津波の浸水したところまで茶色く錆びていて、そのことが一目瞭然です。
海を一望する屋上。震災時はここが最後の砦だった
屋上へあがると、そこからは太平洋が気持ちよく一望できました。階段を上がってすぐの場所には、震災当時の姿を再現した机が置かれています。屋上にも津波が来るのではと予測した、教職員たちが、この机と工事関係者が持っていた脚立で屋上のさらに上に避難しました。
被災した教室には、それぞれQRコードの付いた解説板が掲示されています。QRコードを読み取れば、英語、中国語、韓国語、インドネシア語に対応した説明文を見ることができます。屋上の掲示では、避難した先生や工事関係者の当時の様子が伝えられています。
再び1階に降りて屋内運動場、北校舎を見学
かつてあったはずの屋根がなくなってしまった屋内運動場を過ぎ、渡り廊下をそのまま行けば白い外壁の北校舎が見えてきます。廊下沿いに進み、本館へ戻り映像展示ゾーンへ。ここでは、3人の気仙沼在住の被災者にフォーカスした、ドキュメンタリー映像が流されています。津波によって大切な家族を亡くした方、震災の影響で延期された卒業式で答辞を読む地元中学生など、胸を打つ4つの話が放送されているのでぜひご覧下さい。より詳細に、震災のことや伝承館のことを知りたいという人向けには、約90分の「語り部ガイド」(1~20名まで6000円、要事前予約)もあります。
気仙沼市東日本大震災遺構・伝承館へは、公共交通より車で行くのがよいでしょう。JR陸前階上駅からタクシーで約3分、徒歩の場合は約20分で着きます。
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気仙沼市 東日本大震災構・伝承館
- 住所 宮城県気仙沼市波路上瀬向9-1
- 電話 0226-28-9671
営業時間:9:30~17:00(10~3月は9:30~16:00)
料金:入館600円
定休日:月曜(祝日の場合は翌日休館)
Text by:株式会社シュープレス
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