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東北・仙台にある伊達政宗の「甲冑」が美しい!その他の甲冑も一挙紹介

東北・仙台にある伊達政宗の「甲冑」が美しい!その他の甲冑も一挙紹介

更新日: 2021/01/13

日本国内で各地の武将が覇権を争った戦国時代(1493年頃~1590年頃)。東北地方に「独眼竜」と呼ばれた伊達政宗という武将がいました。黒い鎧と月の飾りが付いた兜をまとう姿と、魅力的なエピソードでドラマやアニメーションゲームなどにも取り上げられる人気のある人物。最近では海外ドラマの製作も決まるなど、世界から注目されています。

今回は、政宗愛用の甲冑を中心に、仙台藩の武士達が着用していたクールな甲冑の数々をご紹介します。

目次
  1. 伊達政宗とはいったい誰?
  2. 政宗は筆まめで教育パパ?
  3. 伊達政宗は甲冑もかっこいい!「仙台市博物館」へさまざまな甲冑を見に行ってきた
  4. ひと足のばし「登米懐古館」で甲冑鑑賞
  5. 伊達政宗ゆかりの地を巡ろう

伊達政宗とはいったい誰?

写真提供:(公財)仙台観光国際協会
写真提供:(公財)仙台観光国際協会

日本では、「独眼竜」の異名で知られる伊達政宗(だてまさむね)。2019年には、Netflixで彼を主人公としたドラマの製作が決まるなど、ワールドワイドに注目を集めています。

また、「自身より位の高い豊臣秀吉の呼び出しに遅れた挙句、死に装束で金の十字架を担ぎ参陣」や、「家督争いの末、弟を推す実の母から毒を盛られて弟を斬り捨てた」など、真偽はともあれ、エキセントリックなエピソードが豊富。

実際はどんな人物だったのか、今回は伊達政宗をはじめ、伊達家の資料を数多く展示する仙台博物館の学芸員・佐々木さんにお話しを伺いました。まずは、略歴からご紹介しましょう。

(公財)仙台観光国際協会
(公財)仙台観光国際協会

1567年に山形県米沢市で誕生した政宗。15歳(1581年)で初陣を飾り、18歳で伊達家17代当主となります。23歳(1589年)の頃には、伊達家歴代当主で最も領土を拡大した当主に。

しかし、世の中はすでに豊臣秀吉による天下統一の流れへ向かっていました。秀吉に従うことを選んだ政宗は1591年に領地の米沢を取り上げられて、現在の宮城県岩出山に移ります。

秀吉の死後は徳川家康に仕え、35歳に現在の宮城県仙台市に居城となる仙台城、松島に菩提寺・瑞巌寺を建設するなど、仙台藩の基礎を築き初代藩主となりました。政宗は、共に戦った多くの武将を見送りながら、70歳で生涯を閉じます。

政宗は筆まめで教育パパ?

伊達政宗画像 狩野安信筆(仙台市博物館蔵)
伊達政宗画像 狩野安信筆(仙台市博物館蔵)

さまざまな逸話が語られる政宗。しかし、前段で紹介した2つのエピソードは資料には残っておらず信憑性は低いようです。

学芸員の佐々木さんの話によると、禅僧の虎哉宗乙に師事した政宗はとても勤勉だったそう。また、若いころから達筆で、「政宗からもらった手紙は大事に残したい」という人もいたようです。

手紙は代筆が一般的だった戦国時代において、現在見つかっている政宗の手紙約4,500通の内、1,300通は直筆。天下人となった、信長が約1,500通の内約10通、秀吉が約5,000通の内約100通、家康が約2,500通の内30通(全て現存する数)といわれているので、分母に差はありますが圧倒的に多いことは明白です。

伊達政宗書状 資福寺(虎哉宗乙)宛 天正16年(1588)閏5月21日(仙台市博物館蔵)
伊達政宗書状 資福寺(虎哉宗乙)宛 天正16年(1588)閏5月21日(仙台市博物館蔵)

直筆の手紙が多い理由は不明ですが、政宗はなんでも「自分でやりたい」というタイプだったようです。政宗の子どもは10男4女。娘には甘かったそうですが、息子、特に長男・秀宗(宇和島藩主)や仙台藩2代藩主となった次男の忠宗には口やかましく、「和歌はこんな詠み方をしないように」など注意の手紙がいくつも残っています。

そうかと思うと、秀吉の命で海外出兵中に実母・義姫へ送った手紙には、現地で珍しい生地を見つけたのでプレゼントしますといったかわいらしい手紙も。

家族内で争い合い、家の弱体化を招いた戦国武将も多かった中、政宗の家族仲は比較的良好でした。このことが、伊達家が安定していた理由のひとつだったのかもしれません。

伊達政宗は甲冑もかっこいい!「仙台市博物館」へさまざまな甲冑を見に行ってきた

伊達政宗は甲冑もかっこいい!「仙台市博物館」へさまざまな甲冑を見に行ってきた

地下鉄国際センター駅から歩いて7分ほど。仙台城本丸跡のふもとにある仙台博物館には、伊達家から寄贈された文化財をはじめ、約9万7,000点もの資料が収蔵されています。伊達政宗の甲冑のほか、歴代伊仙台藩主や家臣の甲冑や刀といった武具や武器も数多く収蔵しています。

甲冑や兜は日本で古くから戦の際に防具として使用され、騎馬を用いた戦から火縄銃、槍を使った集団戦など、時代に適応して形を変えてきました。また、戦国時代において、甲冑は自身の権力を誇示する手段という意味も持つようになります。そのため、武将によりさまざまな意匠の甲冑、兜が作られました。

重要文化財 黒漆五枚胴具足 伊達政宗所用(仙台市博物館蔵)
重要文化財 黒漆五枚胴具足 伊達政宗所用(仙台市博物館蔵)

伊達政宗の甲冑「黒漆五枚胴具足」
「政宗といえばこの甲冑」といえるのが、重要文化財に指定されている政宗の甲冑「黒漆五枚胴具足」です。年に数回だけ期間限定で展示されます。全体が黒で統一される中、金色に輝く弦月の前立をつけた兜が印象的です。

黒を基調とした明確な理由は不明ですが、政宗が幼少期に右目を失ったことが関係しているかもしれません。中国の古典にも造詣が深かった政宗。自身と同じ隻眼でありながら、黒で統一した軍勢を率いて中央政権を握ったといわれる10世紀頃の中国の東北部で活躍した猛将・李克用(りこくよう)に倣ったと考える研究者がいます。

事実として、「独眼竜」も李克用が名乗っていたものです。李克用のように強く、そして、ゆくゆくは天下を狙いたいという思いがあったのかもしれません。

重要文化財 銀伊予札白糸威胴丸具足 豊臣秀吉所用 伊達政宗拝領(仙台市博物館蔵)
重要文化財 銀伊予札白糸威胴丸具足 豊臣秀吉所用 伊達政宗拝領(仙台市博物館蔵)

豊臣秀吉からもらった華やかな甲冑も
打って変わって華やかなのが、政宗が秀吉から拝領した重要文化財の「銀伊予札白糸素懸威胴丸具足」。現在は酸化により黒ずんでいますが、胴の部分などに銀箔が用いられており、制作当時は非常に派手なものだったと考えられます。

戦国時代は、自身の権力をほかの武将に見せるため、の甲冑が主流だったため、こちらの甲冑のような派手ながものが多く見られました。このことから、政宗の甲冑は当時としては異色だったと考えられます。

黒漆五枚胴具足 伊達忠宗所用(仙台市博物館蔵)
黒漆五枚胴具足 伊達忠宗所用(仙台市博物館蔵)

鉄でできた重さ20kg以上の「仙台胴」
3枚目の写真は政宗の嫡男で仙台藩二代藩主・忠宗のもの。政宗以降、仙台藩で良く用いられる黒漆を塗った5枚の鉄板で胴を形成する「五枚胴」と呼ばれる甲冑です。

この形は、仙台藩で多く用いられたことから「仙台胴」とも呼ばれています。皮や布が多く使われていたなか、仙台藩の兜や脛当なども鉄でできているため重く、政宗の具足でいえば20kgを超える重量がありました。しかし、胴は5枚に分かれる造りとなっているため、戦場への持ち運びがしやすいといった実用的な面があります。

金小札五枚胴具足 伊達吉村所用(仙台市博物館蔵)
金小札五枚胴具足 伊達吉村所用(仙台市博物館蔵)

戦のない時代で使用された華やかな「五枚胴具足」
こちらの甲冑は、戦のない時代に生まれた仙台藩五代藩主・吉村もの。この頃には武具は儀式でしか使われないためか、とても華やかです。

しかし、依然五枚胴と鉄の脛当は健在。前立の多くは忠宗や吉村のような八日月が付いていますが、肖像画を見ると藩主は細い月の前立も使っていたようです。細い月は、政宗と数名の当主のみが確認されています。

資料は劣化を防ぐため、年間で展示できる日数が決まっています。そのため、常設展も展示内容が季節ごとに替わるので、最新の情報はホームページで確認してから訪れましょう。

  • 仙台市博物館
    • 住所 〒980-0862 宮城県仙台市青葉区川内26
    • 電話 022-225-3074
    • 営業時間:9:00~16:45(入館は~16:15)
      料金:一般460円
      定休日:月曜、祝日の場合は翌日休
      ※仙台市博物館は大規模改修工事のため令和3年10月1日から休館。令和6年4月に再開館予定。

ひと足のばし「登米懐古館」で甲冑鑑賞

鉄黒漆塗五枚胴 具足
鉄黒漆塗五枚胴 具足

仙台藩主の伊達家と縁の深い、登米伊達家の甲冑を見られるのが、歴史資料館「登米懐古館(とよまかいこかん)」です。仙台駅前から高速バス(片道1,250円)で約1時間35分ほどの、宮城県北部登米町(とよままち)にあります。

所蔵している「鉄黒漆塗五枚胴具足」には、「仙台胴」の特徴が。こちらの甲冑は、伊達政宗とその父・輝宗に仕えた重臣・白石宗実(しらいしむねざね)が所用していたといういわれや、宗実の跡継ぎである白石宗直(しらいしむねなお)の所用だっとなど、さまざまな説があります。前立は漢字「也」の草書体が使われていますが、その由来は明らかになっていません。

白石宗直が初代登米伊達家の当主となり、宗家である仙台伊達家より篤い信頼を得て、伊達の姓を賜りました。

そのほか、登米懐古館には、刀や文書など伊達家ゆかりの資料を数多く展示。少し足をのばして訪れてみてはいかがでしょうか。

  • 登米懐古館
    • 住所 〒987-0702 宮城県登米市登米町寺池桜小路72-6
    • 電話 0220-52-3578
    • 営業時間:9:00~16:30
      料金:一般400円(登米町内6施設共通券は一般1000円)
      定休日:12月28日~1月4日
      ※2020年5月10日まで臨時休業

伊達政宗ゆかりの地を巡ろう

(公財)仙台観光国際協会
(公財)仙台観光国際協会

仙台城跡(青葉城跡)
政宗ゆかりの地を巡るなら、仙台博物館から徒歩20分ほどの「仙台城跡(青葉城跡)」をまず訪れてみましょう。城郭は焼失しましたが、石垣と再建された脇櫓(わきやぐら)、政宗の騎馬像があります。おすすめは、敷地内にある「青葉城資料展示館」。CGやVRで復元された城郭などを見ることができますよ。

瑞鳳殿
仙台伊達家歴代当主の霊廟「瑞鳳殿(すいほうでん)」にも立ち寄ってみましょう。仙台博物館からは徒歩で約20分ほどです。極彩色の壮麗な霊廟は一見の価値あり。敷地内の資料館には、復元された政宗を含む3人の藩主の容貌像も見てみましょう。


今回は、伊達政宗やその甲冑について触れてきました。東北にはほかにも、魅力的な武将やそのゆかりの武器や武具に触れられる場所がたくさんあります。実際に足を運んで、戦国の世を生きた武将たちに思いを馳せてみませんか?

※ご紹介した施設は休業の可能性があります。必ず公式ホームページをご確認ください。

Text by:株式会社シュープレス

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