本州最北端に位置する東北は、青森県、岩手県、宮城県、秋田県、山形県、福島県の6県で構成されています。東西と北部を海に囲まれ、中央には奥羽山脈が横たわっているなど交通の難所も多く、それぞれ独自の文化を築いてきました。日本の原風景のような景色は「心のふるさと」と呼ばれ、初めて訪れた人をも懐かしい気持ちにさせてくれます。東北好きライターが、一度は足を運んでほしい古き良き町並みや絶景を紹介します。
TOP写真提供:アキタファン
1.大正ロマンを感じる湯煙の街 「銀山温泉」(山形県)
山形県尾花沢市にある銀山温泉は、情緒あふれる温泉街です。山形新幹線・大石田駅からバスで40分、山間の道の果てに100年前にタイムスリップしたような光景が広がっています。銀山の地名は、慶長年間(1596〜1615年)に採掘がはじまった「延沢銀山(のべさわぎんざん)」に由来しています。
開湯当時の銀山温泉は、幅の狭い悪路を通らなくては辿り着くことができない難所でした。建物も茅葺屋根の木造平屋や、二階建ての旅館が並ぶ質素なもので、温泉の効能で心身を癒すために訪れる「湯治客」を相手に、細々と営業していたと言います。さらには1913年に大洪水が発生し、銀山川の氾濫でほとんどの温泉宿が倒壊。その影響を受けて温泉の湧出量が少なくなり、利用者数が伸び悩みました。
昭和に入り、新たな源泉ボーリングで高温多量の湯が湧出すると、各旅館は一斉に洋風木造多層に建て替えるなど活気づきます。その後は道路も整備され、山形を代表とする温泉街が形成されました。
日本と西洋の良さを半分ずつ取り入れた「和洋折衷」という言葉がありますが、銀山温泉はその言葉がひったり。洋風建築でありながら客室に畳が敷かれていたり、時には畳の上にベッドが置かれていたりすることもあります。窓からの眺めは外国に憧れていた時代の日本そのもの。夕暮れはガス灯にあかりがともり、ノスタルジックな雰囲気に包まれます。夏は浴衣で散策、冬は雪景色を楽しむのがおすすめです。
銀山温泉はレトロな街並みとは対照的に、Wi-Fi整備や外国人向け観光アプリへの情報掲載、2次元(QR)コードを使った音声ガイド、外国語パンフレットの作成など、外国人観光客でも訪れやすい環境が整っています。旅館内の表示も英語や中国語が多く、安心して過ごすことができます。古くから残る温泉街の雰囲気を楽しんでください。
2.旅人たちが足を休めた街道の宿場町 「大内宿」(福島県)
大内宿は、会津鉄道・湯野上温泉駅から車で約10分、東京から新幹線などを使って3時間半で到着できる近さにあります。大内宿は江戸時代(1603年〜1868年)に下野街道(しもつけかいどう)の一宿場として栄えました。この街道は、鎌倉時代(710年〜794年)から会津と関東を結ぶ街道として多くの往来があったと伝えられています。自動車社会が到来し、全国の道が整備されていく中、山間の大内は取り残されたように開発を免れて今に至っています。
大内宿はその名の通り、旅人が休憩したり宿泊したりする場所です。宿場町は日本に点在しており、長野県の妻籠宿(つまごじゅく)や岐阜県の馬籠宿(まごめじゅく)、東京都庁が建つ新宿も甲州街道に作られた宿場町「内藤新宿」を由来としています。全国の宿場町が様変わりする中で、大内宿は街道沿いに茅葺屋根の民家が建ち並び、道も未舗装であるなど、昔ながらの光景を見せています。
茅葺屋根は日本の伝統的な工法で、茅手(かやて)と呼ばれる職人を中心に、住民が協力し合って屋根の葺き替えを行います。1981年に町全体が国選定重要伝統的建造物群保存地区に指定され、住民は憲章を制定して景観の保存と伝統的な屋根葺きの技術習得、継承に取り組んでいます。
大内宿の家屋は民家兼店舗になっており、ほとんどが飲食店や土産店、民宿などを営んでいます。ここで是非食べてほしいのが、名物の「ねぎそば」。そばに薬味として刻みネギを載せるのが一般的ですが、ねぎそばは一本のねぎを箸の代わりにして食べます。大内宿周辺は良質なそばの生産地であり、そのおいしさは格別。旅の思い出になることでしょう。
大内宿では、英語・中国語・韓国語のパンフレットを用意。外国語を話せる人は少ないですが、誰でも気さくな笑顔で迎えてくれます。
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大内宿
- 住所 〒969-5207 福島県南会津郡下郷町大字大内
電話番号:0241-68-3611(大内宿観光協会)
3.武家屋敷と四季折々の光景が美しい 「角田町 武家屋敷通り」(秋田県)
角館町武家屋敷通りは、秋田新幹線・角館駅から徒歩約15分の場所にある、秋田県を代表する観光地です。春には通りを彩るシダレザクラなど風光明媚な桜の名所として知られ、国内外からたくさんの人が訪れています。角館はこの地域の領主だった芦名義勝(あしなよしかつ)が、古城山の南麓に町を造ったことがはじまりと言われています。芦名氏の家系が断絶した後は、現在の茨城県にあたる常陸(ひたち)の大名・佐竹氏の分家「佐竹北家」の城下町となるなど、武家の町として栄えました。
現在は「石黒家」、「角館歴史村・青柳家」、「岩橋家」、「松本家」、「河原田家」、「小田野家」などの武家屋敷が保存され、厳かな雰囲気を漂わせています。お屋敷は桧木内川(ひのきないがわ)を中心に、南北に立ち並んでいます。城下町では防衛のため道幅を狭くするのが一般的ですが、「武家屋敷通り」と呼ばれるこの通りは、道幅が広く取られています。
武家屋敷の塀や外壁は漆黒に染め抜かれ、木造建築物でありながら重厚感にあふれています。屋敷によって庭園もあり、春は桜、夏は深緑、秋は紅葉と人々の目を楽しませてくれます。中でもおすすめは観光客が少ない冬の時期は、雪の中にたたずむ武家屋敷に、日本的な静寂や様式美を感じることでしょう。
春から秋にかけて町をめぐるなら、人力車を利用してみませんか。レンタル着物店もあるので、和服を身にまとえば気分はさらに上昇、大名気分が味わえます。角館駅前にある観光情報センター「角館駅前蔵」では、英語・中国語・韓国語で表記された地図やパンフレットを配布していますので、入手してからお出かけください。
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角館・武家屋敷
- 住所 秋田県仙北市角館町表町上丁~東勝楽丁
電話番号:0187-54-2700(仙北市観光情報センター「角館駅前蔵」)
4.北前船で反映した港町 「酒田の町並み」(山形県)
山形県・酒田市は江戸時代に重要な港として栄えた街で、いまも随所に当時の面影を見ることができます。日本海の港や北海道の港から江戸(現在の東京)や大阪に、米や魚、特産物などを運ぶ船が運行されていました。潮の流れの関係で西廻りの航路の方が早く荷物を運べることから、酒田は「北前船(きたまえぶね)」と呼ばれた西廻り航路の起点として繁栄しました。街には商家の屋敷や豪華な料亭などが残されています。
北前船は荷物だけでなく、各地の文化も運んでいました。京都などの西日本の料理は、昆布で出汁をとったり、昆布自体を食用とすることが多いですが、それには北前船が運んだ北海道の昆布が使われています。また、山形は染料となるベニバナの生産地ですが、北前船で京都に運ばれて帰りの荷にはベニバナで染められた雛人形や京友禅など、京の文化に形を変えて戻っていました。北前船で大阪と北海道を1往復すると、今の価格で6,000万円から1億円もの利益を得られたと言われています。北前船は一獲千金のチャンスも運んでいたのですね。
JR酒田駅から車で約5分の「山居倉庫」は、酒田繁栄の象徴と言える場所で、米の積出港として賑わっていた明治時代(1868年~1912年)に建てられた米保管倉庫です1棟の保管量は約2万俵、最盛期には14棟あった倉庫に米が保管されていました。夏の高温防止のために背後にケヤキ並木を配し、内部の湿気防止のために二重屋根にするなど、自然の力を利用した低温倉庫として、長い間活躍してきました。2021年に国の史跡指定を受けた山居倉庫は2022年度末に米倉庫としての役目を終えました。
現在山居倉庫は、百余年の時代(とき)を経て、観光の拠点としてお客様でにぎわっています。敷地内には2021年現在、酒田市観光物産館「酒田夢の倶楽」、庄内米歴史資料館が併設されています。酒田が歩んできた歴史を学んでみてください。また、酒田観光物産協会の公式サイトでは、酒田の情報を英語と中国語で読むことができます。グルメ情報やモデルコースも掲載されていますので利用してください。
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酒田の町並み
- 住所 〒998-0838 山形県酒田市山居町1-1-20(一般社団法人酒田観光物産協会)
電話番号:0234-24-2233(一般社団法人酒田観光物産協会)
5.昭和の時代にタイムスリップ「八戸屋台村 みろく横丁」(青森県)
東北新幹線・八戸駅から中心街行きシャトルバスで約20分、「八戸屋台村 みろく横丁」は、昭和と呼ばれた古き時代が再現されています。八戸市は古くから港町として栄えてきました。日々の漁は危険と隣り合わせ。港に戻った漁師たちは緊張を解きほぐすように屋台などでお酒を飲んでいたと言います。
「八戸屋台村 みろく横丁」は、八戸の文化を活かした観光名所として、2002年の東北新幹線八戸開業に合わせてオープンしました。市街地の表通りである「三日町」と裏通りの「六日町」を屋台街で結んでいることから、それぞれの頭文字から「みろく横丁」と命名されました。昔ながらの風情と、おいしい食べ物やお酒を求める人たちで毎夜にぎわいを見せています。
みろく横丁のあちこちに赤ちょうちんが下げられ、路地を明るく照らしています。三日町側は「おんで市」と呼ばれ、魚介類を中心に、焼き鳥屋、居酒屋、おでん屋などが軒を連ねています。六日町側は「やぁんせ市」と呼ばれ、ラーメン屋、串揚げ屋、煮込み料理屋などが並んでいます。1つの屋台の広さは3.3坪で、8人程度入れば満席。お店は数年ごとにすべて入れ替わるので、「今度はどんなお店に出会えるだろう」とワクワクします。
八戸では日本有数の水揚げ量を誇るイカやサバをはじめ、たくさんの魚介が水揚げされるほか、肉類や野菜などおいしい食材が盛りたくさん。観光客だけでなく、地元の方の利用も多く、お店には南部弁と呼ばれる方言が飛び交っています。レトロな雰囲気に包まれて地元の人たちと交わりながら、八戸のおいしいものを味わってください。
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八戸屋台村 みろく横丁
- 住所 〒031-0033 青森県八戸市六日町10
電話番号:0178-44-7101(八戸屋台村 みろく横丁事務局)
営業時間:16:00~4:00
状況により営業時間は変更されることがあります。
何気ない街の光景に東北らしさを感じる
かつて東北地方は中央政権と異なる文化を持っていました。それは歴史的な文化遺産だけでなく、今もなお人々の生活に息づいています。土地の方言で話す人、たわわに揺れる稲穂、古くから営業している重厚な店舗など、それぞれの街の何気ない風景が東北らしい町並みでもあります。ノスタルジックな日本が残る、東北に出かけてみませんか。
※本記事の情報は2021年12月時点のものです。最新の情報は公式サイト等でご確認ください。
Text by:Masakazu
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