フランスに長く暮らし、『ミシュラン・グリーンガイド・ジャポン』の制作の際に、日本視察をアテンドした森田哲史さん。欧米人の友人も多く彼らの思考をよく知る森田さんが、欧米人の視点で日本の魅力をお伝えする「カルチャーウォーク」。今回のぶらり旅の目的地は、長野県。ニューヨーク出身のアメリカ人・ティモシーと共に一泊二日で塩尻・諏訪地方を巡ります。
ティモシーは新宿から高速バスで向かうことに。新宿にある巨大バスターミナル「バスタ新宿」から京王高速バス「木曽福島線」に乗り、「奈良井宿」停留所で下車し、森田さんと合流です。
森田:「長距離バスの移動はどうだった?」
ティモシー:「快適でしたよ。諏訪湖も綺麗に見えました。だいたい4時間ちょっとでしたので意外とすぐ来ることが出来ました」
森田:「諏訪湖を過ぎて潜ったトンネルの上が塩尻峠だよ。そこから中山道に合流したんだ。中山道は江戸と京都を結ぶ、東海道と並ぶ主要なルート。東海道新幹線のルートでもある東海道は海の道、この中山道は山の道というわけ。街道の途中には多くの宿場町があって、奈良井宿は日本橋から数えて34番目の宿場なんだよ」
■寛政年間創業の老舗旅館「ゑちごや」
長野県塩尻市にある「奈良井宿」には、約1キロにわたり、江戸時代から続く宿場町の街並みが保存されています。重要伝統的建造物群保存地区に選定された街並みを歩いていると、日本に興味がある外国人が思い描く江戸時代の風景そのもの。
ティモシー:「我々欧米人が想像する日本の町並みはまさにこんな風景です」
森田:「イザベラ・バードやラフカディオ・ハーンが西洋に発信していた日本のイメージがこれだったってことだね。150年前の日本の町はどこもこんな風だったんだろうね。夕方から夜にかかる頃の雰囲気は格別だよ」
かつて中山道でもっとも栄えた奈良井宿は「奈良井千軒」と謳われたそう。現在は約70件の宿泊施設や飲食店、土産物屋などが、江戸時代の建物で営業を続けています。
寛政年間(1789~1800年)に創業した「ゑちごや」は、江戸時代から230年にもわたって営業されている老舗旅館です。玄関口(ミセノマ)には江戸時代に作られた総欅造の旅籠行燈(はたごあんどん)が置かています。
入り口を入ると、9代目店主の永井さんが正座で迎えてくれました。
森田:「江戸時代からそのままの建物が残されているんですね。江戸時代はここに座って草履を脱いで足を拭ったんでしょうね」
ゑちごやでは、寛政年間に作られた建物を修繕しながら営業を続けているそう。1日に2組限定で、6名まで宿泊可能。朝晩には山菜料理や川魚料理など、四季折々の木曽路の味が楽しめます。
1Fの離れの間は、夏は窓を開けると涼しい風が入ってくるため、「薫風楼(くんぷうろう)」と呼ばれています。部屋には100年以上使用されているという漆塗りの座卓が置かれ、畳と座布団に座る昔ながらの日本の暮らしを体験することができます。冬はこたつや火鉢にあたり、暖をとることができるそうです。
永井さん:「最近は約三分の一が海外から来られたお客様なんですよ」
ティモシー:「彼らにとっては面白い宿泊体験になるでしょうね。欧米人旅行者が多いのはよくわかります」
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旅館 ゑちごや
- 住所 長野県塩尻市大字奈良井493
- 電話 0264-34-3011
■中山道トレッキング!江戸時代の殿様も通った「鳥居峠」
奈良井宿の街並みを堪能した後は、江戸時代の中山道を体験することに。江戸時代から中山道屈指の難所として知られた約6キロの山道、鳥居峠をトレッキング。奈良井駅から電車に乗って、一駅だけ名古屋よりの薮原駅へ。そこから奈良井に歩いて戻って来ます。
藪原駅から10分ほど街並みを歩いて行くと、だんだんと山道に。
森田:「江戸時代、この街道は参勤交代にも使われた重要な道だったんだ。江戸時代の大名は、1年おきに領地と江戸を行き来しなければならなかったんだ。それを参勤交代というんだよ。日本中にいる大名たちの大旅行が毎年あるわけだから、地方の宿場町にはお金が落ちる。だから奈良井などの宿場町はとても賑わっていたんだよ」
ティモシー:「ここが御岳神社ですか。大きな鳥居がありますね」
森田:「この鳥居が鳥居峠の名前の所縁といわれているよ。昔この辺りを納めていた領主が、松本の方の領主と戦をした。戦いの前に彼はここから御嶽山を拝んで戦いに勝つことを祈願したんだ。戦は彼の勝利となって、彼はここに感謝のために御岳神社を建立して大きな鳥居を立てたんだ」
ティモシー:「この道を江戸時代の人々も歩いてたというのは感慨深いです。自然との一体感も味わえてとても満足です」
鳥居峠を越え、3時間ほど山道を歩き、再び奈良井宿に到着。今日の日程はこれで終了です。
中山道を歩いた江戸時代の旅人の気分で、ゆっくり眠れそうです。
■縄文&古墳&平安時代の遺跡を復元した「平出遺跡公園」
二日目はレンタカーを借り、車で諏訪地方をめぐります。最初の訪問地は「平出遺跡」。
森田:「平出遺跡は塩尻駅からすぐこれたね。縄文時代から人々が暮らしてきたとされ、この一帯では、現在までに縄文時代から平安時代までの約290の竪穴式住居や建物跡が発掘されているんだよ」
撮影時は、スタッフの中島さんが、平出遺跡についてガイダンスしてくださいました。
中島さん:「この土地に、人々はずっと住み続けていたんですね。中でも約5000年前は最も多い時代でした」
森田:「5000年前と言えば紀元前3000年。エジプトのピラミッドやイギリスのストーンヘッジが作られたとされる頃だね。その頃の住居跡を、専門家の研究を元に復元させているんだ」
平出遺跡公園では「五千年におよぶ平出の地」をテーマに、“縄文の村”、“古墳時代の村”、“平安時代の村”が復元されており、遺跡の中にも自由に入ることができます。
ティモシー:「中で火を焚いていたんですね。そうすると家の内側がスモークされて虫害を防げる」
森田:「意外に温かかったのかもね」
ティモシー:「古墳時代の住居になってくると同じ竪穴式でもキッチンシステムがありますね」
森田:「これは竈(かまど)って言うんだ。煙は地下道のような煙突システムが作られていて、それが家の外に繋がっている。これだと家の中が煙くならないんだね。時代とともに進化していくのがわかるね」
平出遺跡公園には、火起こし体験や勾玉づくりなどを体験できるガイダンス棟が併設されています。開園時間内であれば自由に入ることができ、遺跡の歴史などについてのガイダンスを受けることもできます。
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平出遺跡公園ガイダンス棟
- 住所 長野県塩尻市大字宗賀388-2
- 電話 0263-52-3301
■諏訪大社の祭礼を再現。縄文建築も特徴的な「神長官守矢史料館」
次にやってきたのは、「神長官守矢史料館」。
ここは諏訪大社の神長官(じんちょうかん)を務めてきた守矢家に伝わる貴重な中世から明治時代までの文書を保管・公開する資料館です。
ティモシー:「屋根から突き出たファサードの柱が印象的ですね」
森田:「建物は、建築史の研究家で東京大学教授でもある建築家・藤森照信氏の最初の作品。藤森照信さんの建築は縄文建築とも呼ばれているんだよ。この辺りは守屋山を神様とする守矢一族の支配する土地だった。そこに出雲から別の一族が侵入して来てこの土地の王になったんだけど、守屋山を神とするこの土地の信仰は認め、諏訪大社を作ったんだ。そしてこの土地の昔からの王・守矢氏をそこの神長官に任命したんだ」
中に入ると、諏訪大社の重要な祭礼である「御頭祭」の様子が展示されています。神に捧げるための25頭の鹿(猪を含む)の頭は衝撃的な光景。
森田:「神が与えてくれた恵に感謝する御頭祭の模様が再現されているんだけど、鹿や兎の展示方法は、江戸時代後半に北海道や東北の奥地を歩いて、その記録を詳細に残した菅江真澄の書物に書かれた内容を再現しているんだ。彼が諏訪に訪れた際に“御頭祭”という神事に立ち会って、その様子を記録していたんだよ」
この神長官守矢史料館の近くには、藤森照信さんの設計した面白い建築物が三つあります。
『空飛ぶ泥舟』、『高過庵』、『低過庵』というこの三つの建築物、中は茶室になっています。海外からこの建物を見るために訪れる建築を学ぶ学生たちも多いそうです。
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神長官守矢史料館
- 住所 長野県茅野市宮川389-1
- 電話 0266-73-7567
■御柱を仰ぎみて巨木信仰を感じる「諏訪大社 上社 本宮」
神長官守矢史料館の後は、その神長官が使えていた「諏訪大社 上社 本宮」へ。
諏訪大社には、諏訪湖を挟んで二社四宮の境内がありますが、今回は諏訪湖南岸にある上社の本宮を訪れました。
森田:「諏訪大社は全部で四つの社があって、下社には春宮と秋宮、そしてこの上社には本宮と前宮があるんだ。ここにいる神さまは、建御名方神(たけみなかたのかみ)。出雲の国王の子のひとりだよ」
ティモシー:「大きな木の柱がありますね」
森田:「これが諏訪大社の特徴。社殿を4本の柱を建てて守っているような感じだね。御柱と書いて“おんばしら”って言うんだ。諏訪大社には7年に一回の大きなお祭があってね。この御柱を建てかえるお祭なんだけど、山から大木を大勢の人が曳いて来るんだ。最後は山の急な斜面から御柱を滑らせ落とす。そして、滑り落ちる御柱の上に男達が跨って一緒に降りて来るっていう、この土地の人達にはとても大切なお祭なんだよ」
ティモシー:「映像で観たことがあります。巨木信仰が根付いているんですね」
森田:「ところで、ティモシー、日本では10月のことを神無月(かんなづき)って呼んでいたんだ。『神様がいなくなる月』って意味で、10月に行われる年に一度の会議に出席するために、神さまたちはみんな出雲へ行ってしまうんだ」
ティモシー:「出雲、建御名方神のふるさとですね」
森田:「そう。そして出雲の人達は10月を神無月とは言わずに『神在月(かみありづき)』と呼ぶんだよ。ところがここ諏訪地方の人達も10月を、出雲の人達と同じように『神在月』と言っていた。なぜなら、建御名方神は、実家からは破門されているんだよ。それで、未だに年に一度の出雲で開催される神様の会議には呼ばれていない」
ティモシー:「面白いです!! 今でも日本人は神話の世界に生きているんですね」
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諏訪大社 上社 本宮
- 住所 長野県諏訪市中洲宮山1
- 電話 0266-52-1919
■諏訪地方の名産・ところてんと寒天を堪能できる「トコロテラス」
本宮参拝後は、少し休憩をすることに。
訪れた「トコロテラス」は、ところてん工場と隣接したショップ&カフェ。入り口付近では、ガラス越しにところてんの製造過程を見ることもできます。
奥はカフェになっており、長野の名産であるところてんや寒天を利用した料理やデザートを楽しむことができます。
森田さんのオーダーは「天草のみでつくった 本来のところてん」。
そしてティモシーは、アイスクリームや寒天ににエスプレッソをかけて食べるアフォガートのような「エスプレッソあんみつ」をオーダーしました。
ティモシー:「ところてんは諏訪の特産だって聞きましたけど、ここは海から遠いですよね。なぜ海草から作るものが名産に?」
森田:「仕事で京都にでかけていた諏訪地方の商人が、当時まだ珍しかった寒天を使っている料理人から寒天の話を聞いて諏訪地方の冬の仕事になるって確信したんだとか。3年間修行をして寒天の作り方をマスターし、諏訪地方にこの技術を広めたみたいだよ」
森田:「諏訪地方の冬はとても冷え込むのと、比較的天気が良く、晴れて乾燥する日が多いので寒天作りには適していることを、諏訪の商人は見抜いたんだね。昔の諏訪地方の農民は、冬は江戸へ出稼ぎに出なることが多かったそう。だから、その農民たちが出稼ぎに出なくても済むような仕事は無いものだろうか?って日頃から彼は探していたんだろうって想像するよ」
店内にあるショップでは天草100%の「本来のところてん」、諏訪地方の名産である「国産天然角寒天」、寒天を使用したお菓子などを購入することができます。
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トコロテラス
- 住所 長野県諏訪市四賀赤沼1545-1
- 電話 0266-52-1056
■諏訪湖のほとりで素朴な芸術作品に親しむ「ハーモ美術館」
トコロテラスの後は、諏訪湖の北岸にある「ハーモ美術館」へ。ハーモ美術館から諏訪湖を眺めると、山と山の切れ目の間に富士山を見ることができます。ここでは、館長の関さんと学芸員の森さんにお話を聞かせていただきました。
森田:「美術館からの眺めが素晴らしいですね」
関館長:「ハーモ美術館では、絵を楽しむと共に、ここからの景色も楽しんでいただきたいんです。そのためにゆっくりできるカフェ・スペースも用意いたしました」
ティモシー:「この景色を見ながらコーヒーが飲めるなんて、嬉しいですね」
関館長:「“芸術と素朴”をテーマに、アンリ・ルソーなどの素朴派の作品を集めています。アンリ・ルソーの作品は全9点所蔵しています。他にも、70歳を過ぎてから本格的に絵を描き始めたグランマ・モーゼスや、庭師から画家へ転身したのアンドレ・ボーシャンなどの作品があるんですよ」
森田:「アカデミックに絵画を修養した画家ではないけれど、自然の美しさに魅了されてその感動を残すため絵を描き続けた画家たちの作品。自然と人のハーモニーが、まさに芸術の域にまでも繋がっている、そんな美術館だね」
ティモシー:「グランマ・モーゼスの作品は本当に“自然と人とのハーモニー”という言葉がぴったり。ぼくにとってはとても懐かしいアメリカ東部の田舎の風景です」
森さん:「彼らの作品をよく観ると、妙に後ろにある花が大きかったり、ここには影があるのにここには無かったりとか、遠近法の視点で観れば変なのですが、それが面白みになっているんです」
森田:「諏訪地方に来て、日本の神話に思いを馳せて、湖の辺に建つ美術館に立ち寄る。こんなに素敵な風景を眺めながら、世界の素朴派の絵を鑑賞するって、とてもリッチな時間の過ごし方だよね」
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ハーモ美術館
- 住所 長野県諏訪郡下諏訪町10616-540
- 電話 0266-28-3636
■千人風呂は圧巻!シルクエンペラーがつくった「片倉館」
諏訪地方最後の目的地は、「片倉館」へ。諏訪湖の東岸、湖岸通り沿いにある、レトロな洋風建築です。
森田:「岡谷市を中心に諏訪地方では昔から養蚕・製糸業が盛んだったんだ。ここでその養蚕業を紡績会社に発展させたのが二代片倉兼太郎(1862~1934)という人。東洋一の紡績会社を築いた経営者だね。シルクエンペラーと呼ばれていたんだよ。その片倉兼太郎さんが世界を視察された時に、チェコのカルルスバーグにあった福利厚生施設に感銘を受けた。自社の社員だけでなく地域の住民にも利益を還元したいと思い、1928年に作ったのがこの片倉館なんだよ」
地域住民のための厚生と社交の場として作られたこの片倉館には、深さ1.1メートルの千人風呂がある浴場棟や、大広間などがある会館棟があります。
今回は館長の山﨑さんに会館棟をご案内いただきました。館内の各所には、凝った意匠がほどこされており、見所がいっぱいです。
山崎さん:「これはこの建物が完成した時のお祝いとしていただいた東郷平八郎元帥直々の書です」
森田さん:「ロシア海軍と戦うための軍艦を買う外貨を製糸業が稼いでくれたんだね、きっと」
山崎さん:「そうです。東郷平八郎は片倉兼太郎に感謝の意を込めて書をしたためたんでしょうね」
山崎さん:「この大広間は204畳です。柱の無いこれだけの大広間は大変珍しいと思いますよ」
ティモシー:「本当に。これだけの畳があると、壮観ですね」
千人風呂が有名な片倉館ですが、帰りの高速バスの時間がせまっていたため、残念ながらお風呂に入ることができませんでした。
山崎さん:「是非、お風呂にも入って行って欲しいんだけどなあ。1.1mの深さで、底には玉砂利を敷き詰めてあるんですよ。100人くらい一度に入浴できるんですよ」
ティモシー:「また近いうちに家族と必ず来ます!!」
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片倉館
- 住所 長野県諏訪市湖岸通り4-1-9
- 電話 0266-52-0604
千人風呂を心残りに思いつつ片倉館を後にした森田さんとティモシー、無事、上諏訪駅から新宿に向かう京王高速バス「諏訪岡谷線」に乗り込むことができました。
縄文時代の遺跡から、江戸時代の街並みや中山道の街道、そして明治時代の最先端の入浴施設、自然の美を讃える芸術と、さまざまな諏訪地方の魅力を堪能した盛りだくさんのぶらり旅。
諏訪湖周辺に縄文時代から連綿と続いていると思われる巨木信仰や、出雲から来た神と守矢一族の覇権争いと日本式和睦など、独特の信仰に彩られた、とても興味深い二日間となりました。
家と映画館(試写室)と取材先と酒場を往復する毎日を送る映画ライター、WEBディレクター。2001年から約8年、映画情報サイトの編集者をやってました。2009年に独立し、フリーランスに。ライターとしての仕事の他、Webディレクションなど、もろもろお仕事させていただいています。
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