遂にこの日がやってきた。一見お寺には見えない非常に近代的なビルの中にある緑泉寺。実際に玄関のドアを横にスライドさせるまで、この奥にお寺があるとは、にわかには信じられなかった。緑泉寺の僧侶・青江覚峰氏が主催する、暗闇でごはんを食べる異体験「暗闇ごはん」。私はこの体験ができる日を心待ちにしていた。この暗闇ごはん体験をさせて頂くに先立って本イベントを始めるに至った由来とその信念や哲学、および青江氏自身のマルチな人間性、人柄についてインタビューさせて頂いていた。
というわけで今回は、その由来よりもまずは、実際の暗闇ごはんの体験を伝えたい。私が参加した会は、青江氏自身ではなく、青江氏の奥様によって開かれた。和やかなご挨拶の時間を終えるとすぐさま、奥様から好みのアイマスクを選ぶよう指示を受けた。私たちは当日、暗闇ごはんに参加した人の中でも比較的早く到着したため、これからどんな経験が待っているのか周りの方と談笑しながら、実際にアイマスクを装着してみたりしていた。予想通り、覗いたりすることは、ちょっとでも禁物!いわば「真っ暗な、仏教を背景に持つレストランで食事をする」という状況に、ワクワクを抑えきれなかった。もちろん、これまでに暗闇でごはんを食べるなんて想像もつかなかったので、実際に挑戦する段になると、思うように箸を操れないことにイライラしてしまわぬよう、むしろそれを楽しめるような心持ちでいるよう臨んだ。
さあ、準備ができたら暗闇ごはんへ
アイマスクを装着して二階に上がるようにと言われた。食事をする直前にアイマスクをつけるものだと思っていたので、これには面食らった。私たちは果たして食事にありつけるのか、戸惑う気持ちを抱きつつも、僧侶の奥様の優しい手ほどきを受けながら、一段ずつ階段を上がり部屋に到着。柔らかい座布団のような感触を足に感じた。すると「ゆっくり気をつけながら腰掛けてください。ただし絶対にアイマスクを取らないように。」と僧侶の奥様から告げられ、奥様は私のもとを離れていった。
この時私は、先日の青江氏のインタビューの中で「暗闇では孤独を感じることしかできない」と仰っていたことを思い出した。そして実際にこうして暗闇で、一人、座布団の上に座ってみて、漸く青江氏が仰っていた言葉の意味を反芻した。しばらくすると両隣から、今回一緒に臨んだ藤田さんとHollyの二人の声が確認できたことで、安堵感に包まれた。と同時に、無意識のうちに、計り知れぬほどの緊張感を孕んでいたことに気づかされた。
闇の中で交流を:暗闇ごはん版じゃんけん
最初のごはんが運ばれてくる前に、部屋にいた私たち20人は、半ば興奮しながら互いに談笑していた。その間、私は目の前の箸を見つけ出し掴むこと、そしてコップに注がれた水を飲むことに成功した。すると奥様から「それでは皆さんで、じゃんけんぽんをしてみましょう」と提案があった。私は「じゃんけんぽん」が日本語で何を意味するのかすっかり忘れてしまっていたが、これは英語で言う「ロック・シザーズ・ペーパー」だ。暗闇で交流をして、虚無的孤独感と戦うというのだ。
目の前のテーブルに座る誰かと、私はじゃんけんをした。その人は男性で、とても元気で楽しげな声をしていた。じゃんけんで手を出してみたのは良いが、必死にお互いの手の場所を「あれ?どれがあなたの手?」などと、自分以外の手を認識する方法を探りあっていた。私も同行した友だちも、すっかりその楽しさに魅了されていた。すると、じゃんけんの相手の彼は笑いながら私の手を握り「ここだよ!」と教えてくれた。
もちろん「ここ」と教えてもらっても、正確な方向も分からなかったけど、何度かもがくうちに彼がじゃんけんで何を出したのか、認識できた。「グー」。私はため息と苦笑いをしながら、「チョキ」で負けた自分に気づいた。
こうしたゲームの流れで、彼と少し話をしてみることに。今回が彼の初めての暗闇体験だと話してくれ、私自身の視界がどのようになっているのか、とても興味を示していた。
色のないトマトとの出会い
そうこうして本題のごはんへ。最初の食事が運ばれてきても、私は「もうごはんは私の前にあるの?」と周りに尋ねてしまった。慎重に、目の前のテーブルがあるとされる方向に手を伸ばし、恐る恐る指を伸ばして、固く冷たい何かに触れて初めて、確かにごはんが来たと認識した。さらに、鼻を食べ物の近くに近づけることで、何を目前にしているか識別できた。トマトだ!この小さなトマトのピューレのような料理は、青江氏がインタビューの際にパソコンで見せてくれたもの。指にちょっとつけて舐めてみるだけで、その濃厚なトマトの風味が口中に広がった。このトマト自体が風味豊かで、特別濃厚な味わいをしているのか、暗闇で実物の見えない環境で食べているためにそう感じるのか…?
私の周りにいた誰もが、それをトマトだと認識していたようで、その後すぐに次のごはんが運ばれてきた。最初のトマトの料理は簡単に認識できたが、その後のごはんはそう簡単にはいかなかった。暗闇ごはんで提供される全てのごはんは、仏教に関連した料理となっていて、特にフルーツや野菜の持つ味を失わぬよう、風味を色濃く残す仕上がりとなっていたようだ。正直、私は日本の料理について全く詳しくないため、提供された料理の名前を言い当てることはできなかった。でもそこに静かに座り、その味わいや香り、食感を楽しむことはできた。特に私と同行したHollyはアメリカ人ということもあり、これまでに経験した食文化が他の日本人参加者とは大きく異なるのだ。
推測から見えた「食べる」ということ
あまり行儀の良くないことだとは認識しながらも、目の前にあるお皿やお椀を自分の目の前から探り出して、手についた食べ物を舐めてみたり、実際に口に含んで味わってみたりする経験は非常に楽しいものだった。そうでもしないと実際に何があるか分からなかったし、真っ暗で誰も見えてないのだから行儀の良さなんて気にする必要はない、私自身が楽しめたのだから問題ない!…はずだ。それぞれ料理の名前までは認識できなかったが、どんどん繰り返すうちにキノコや人参、ブロッコリーなど、具体的な食材の名前を、味や食感から完全に認識できるようになるまでになった。
青江氏は、視界を失うと方向も分からなくなるから、とにかく味に集中するしかなくなるとずっと仰っていた。二つ目か三つ目の料理から、次に目の前にやってくるミステリーフードは何だろうと楽しみになっていた。私は、新聞を読んだりインターネットを見たりしながら食事をする生活が日常だったため、この暗闇でごはんを食べるという体験は全く真新しいものとなった。そしてそれは私の想像を遥かに超えて楽しい経験だった。
暗闇から現実世界に戻る
「仏教にまつわる食べ物」とだけ聞くと、あまり想像がつかなかった。しかし実際に口にしてみて、その食べ物それぞれの美味しさに驚かされた。青江氏はインタビュー中に「先入観を持って食べ物に向き合うと、正解は絶対に出ないよ」と仰っていたが、こんなにも美味しいものを暗闇で食べるという体験を通して、それがいかに正しいことであるかが分かった。
青江氏の奥様から「これが最後の食事です。」と告げられた時、私は寂しささえ感じた。最後の一品を含めれば、八品も味わうことができたけど、こんなにも非日常的な楽しい体験が、想像よりも遥かに早く終わってしまうなんて…。
そして暗闇ごはんで最も辛い時がやってきた。アイマスクを外すのだ。明るい世界に慣れるのに、アイマスクを外して数分ほど掛かったが、あれほど孤独な世界にいると思っていたのに全く独りではなかったことに気付いた。周りにいる皆さんも、目をパチクリしながら、そして顔をしかめながら、明るい日常に戻るのに必死だった。
一風変わった出汁の秘密
これまでに話したように、ほとんどの人が暗闇の中で何を食べているのか探るのに、とにかく必死だった。アイマスクを取った後は、青江さんの講話があった。そのなかで私は、2点、大きな成功を収めた。周りの人々が口にした食べ物が何かを模索する中、私は予想したものが当たっていたのだ。私が恐る恐る手を挙げて、ナスではないかと答えると、青江氏はにっこり微笑んでくれた。
「私は出汁が何か違うと思う」と自信なさげに答えると、青江氏は「その通り!」とさらににっこり微笑んでくれた。出汁は日本流のスープの作り方で、鰹や昆布を使うもの。しかし青江氏はこの出汁は鰹や昆布以外のどんな食材でも、例えこのナスの切り身であろうと出汁になり得ると説明をしてくれた。
私のもう一つの成功は「飛龍頭(ひりゅうず)」と呼ばれる食べ物だった。漫画「サチのお寺ごはん」で登場する食事であったため、頭で覚えていたのだ。正確には暗闇で食べたことで認識できたとは言えないが、それでも過去の私の漫画を読んだ経験から当てることができ、しかも周りの誰もが当たることができなかったのだから、正解と言って良いはず!
「食」からのメッセージ
いくつかの料理を代わる代わる提供してくれていた折に、食事として二つのおにぎりが配られていたようだ。青江氏は「おにぎりに違いがあったことに気付きましたか?」と皆さんに聞いた。私を含むすべての人がもちろん気づくことなんてできず、それを聞いて笑うことしかできなかった。
「食べ物はメッセージを持つ」と青江氏は仰っていたが、私は暗闇ごはんを経験した今、ようやくその意味に深く頷くことができ理解することができた。受け取り方は個々で異なるだろうが、暗闇でごはんを食べる経験はとてもユニークでかけがえのないものだった。
仏教の食事についてもう少し勉強するなら、青江氏の次回のイベントに参加されるか、漫画「サチのお寺ごはん」をお勧めする。ちなみに暗闇ごはんのイベントの開催は毎月1回で、年に2回は英語バージョンもある。緑泉寺のウェブサイトから予約できる。
ドイツ・ベルリンの大学で日本学科を卒業し、2014年から再び日本で暮らしはじめました。日英翻訳をはじめ、日本の歴史、民俗、現代文化、社会問題などに関心があります。
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※特記以外すべて税込み価格です。
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