ナイトライフでにぎわう六本木と、洗練されたビジネス街である赤坂の間に位置する乃木坂。そこに、リアル・ラスト・サムライともいえる乃木将軍を祀った乃木神社が立つ。東京メトロ乃木坂駅を出てすぐ、大きな白い鳥居と神社を守る二頭の狛犬に私は迎えられた。
神社の敷地に一歩足を踏み入れると、不思議と都会の喧騒がふっと消え、全く異なる世界にいるように感じた。複数の大樹が、私を覆うようにその涼しげな影を広げ、新鮮で清らかな気持ちにさせてくれる。現代的な東京のなかにあって、全く異なる一面を持つ同神社。祈りをささげる前に、手水舎では柔らな水でお清めを行った。
いざ、神の国へ
静かで和やかな雰囲気と、神社のとてつもなく美しい景色を目の当たりにして、私はなぜか、気分が落ち着かなかった。もし、あなたが日本の神社を訪れ、驚きに似た神秘的な雰囲気を経験したことがあったなら、「なぜ、落ち着かないのだろうか?」と恐らく思うだろう。その理由は、乃木神社に宿る神の仕業だ。
そもそも、神とは何かご存知だろか?神とは、精神的な守り神の一種であり、日本には山の神、川の神、木の神など、それぞれに異なる神が宿っているとされている。また日本全国各地で祭られている稲荷大神というものもある。しかしながら乃木神社の神は独特で、実在の人物である乃木希典(のぎまれすけ)将軍が神とされているのだ。将軍は1912年9月13日に切腹により殉死している。
リアル・ラスト・サムライ、乃木将軍
なぜ私がこの記事で、繰り返し「リアル・ラスト・サムライ」と書いているか、だんだんその理由が見えてきただろうか?切腹、またはハラキリともよばれる行為は、本物の侍の死に方のひとつだ。自らが起こした過ちや不始末の責任を、自ら判断し、処置するという覚悟を示す行為で、自身の名誉を保つことでもある。乃木将軍の場合は、ただの切腹ではなく、殉死ともいえた。つまり、将軍が尊敬する人の死を追う行為だったのだ。将軍が尊敬した人とは、明治天皇。切腹した日は、天皇の葬儀が行われた日だった。天皇の棺が皇居から運ばれると、将軍は妻の静子とともに東京の自宅で人生の最期を迎えた。
この乃木将軍の死を覚えるために、私はお賽銭箱に小銭を入れ、慣例どおり、二礼二拍手一礼を行った。その静けさのなか私は神である乃木将軍に近づき、なにをお願いする(祈る)べきかと戸惑った。
どのように神になるのか ~償いと信念~
乃木将軍の死には、今でもいくつかの解釈がある。自身の遺書には、軍人時代に犯したさまざまな間違いに対する償いであると書かれてあった。将軍の実績のなかでもっとも高い損失を出したもののひとつが、旅順攻囲戦(りょじゅんこういせん、Siege of Port Arthur)だ。1905年に終えた日露戦争において、ロシア帝国の旅順要塞を、日本軍が攻略し陥落させた戦いだが、その際に約1万5400人の日本人兵の命をなくした。将軍は自責の念に耐えられなかったと、見られている。
日本の歴史のなかで切腹を行った人々は多数いるが、ではなぜ乃木将軍が特別に注目されるのか?彼の儀式的な切腹自殺は論争の的だったそうだ。忠誠心ある行為とよんだ人もあれば、時代遅れで非合法的と指摘した人もあった。そのため、公式の場では、将軍をリアル・ラスト・サムライとはよべない。しかし、20世紀前半の誰にとっても、思いもよらなかった方法で、自身の強い想いから、人生を自ら終わらせたことに、リアル・ラスト・サムライの異名があることには賛同したい。
写真と想い:将軍の妻
神社の横には乃木将軍の一生を、写真や書籍、また本人の持ち物をもって紹介している小さなギャラリーがある。なかには、切腹自殺を図った日の朝の写真も。自宅で寛ぎながら新聞を読む将軍と、それを後ろから見守るようにして立つ静子婦人が写っている。彼女の目の輝きには、どこか決心のようなものがあると、私には感じた。
彼女の写真を見ていると、どうしても彼女についてもっと知りたくなった。自害の日の朝、彼女は何を思っていたのだろうか。彼女は何を償いたかったのか。天皇の死を追いかけたのか。夫の死を追いかけたのか。私は、彼女の神聖な夫より、彼女自身についてばかり考えていることに気がついた。
過去と現在をつなぐ刃
ギャラリーでは、二人が自害に用いた長く、美しい刀と懐剣を見ることができる。神社とその敷地内は幻想的な雰囲気があるが、このギャラリーでは一気に現実に引き戻される。実際の人々の写真と切腹自殺に使われた刀を見ていると、このギャラリーは、神道の神秘的な領域と現実の世界の間を結ぶ独特な空間であるように思えた。私は寒気さえ感じた。しかしそれは不快なものではなく、神道崇拝への好奇心からくるものだった。
空っぽの家に見る神道への想い
神社の隣の美しい緑の庭を抜けて、乃木将軍がかつて生活をしていた邸宅へ。毎年1回、9月12日・13日しか内部は開放されないが、邸宅の周りに施された見物用のバルコニーから中を見ることができる。もっとも興味深いのは、もちろん、二人が最後を迎えた部屋だ。覗き込んでみてみると、なんてことのない綺麗なシンプルな部屋だ。しかし最後の瞬間を想像するのはたやすい。見えない存在、はかない美しさなど、何十年も前に彼らが信じた神道の形を垣間見た気がした。
結婚式と非日常の空間:今日(こんにち)の乃木神社
こんな深い歴史の話のあとに聞くと驚くかもしれないが、現在の乃木神社は結婚式場として人気がある。自害をした夫婦を祀る神社で?と戸惑うのも分かるが、神の世界への橋を一緒に渡った夫婦を祀る神社ともいえる。神道において自害、また死は悪いこととして捉えていない。乃木神社を訪れるカップルの多くは、お互いの深い理解と、とても強い絆の持続を祈りにやってくるのではないだろうか。
現代の神道の分かりやすい良い例として、なぜ乃木神社が取り上げられるのか?それは抽象的な神ではなく、実在の人物を祀っているからではないだろうか。結婚式を挙げる若いカップルも、都会の喧騒から離れて非日常的な空間で落ち着きたい人々も、乃木神社の謎めいた、それでいて落ち着いた雰囲気に癒される。
神道の領域に訪れてみたくなりましたか?
ドイツ・ベルリンの大学で日本学科を卒業し、2014年から再び日本で暮らしはじめました。日英翻訳をはじめ、日本の歴史、民俗、現代文化、社会問題などに関心があります。
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