世界から「優しい」と称される日本人の本質とは

世界から「優しい」と称される日本人の本質とは

Update: 2018/04/06

独自の食文化やアニメ漫画などのサブカルチャー、電化製品に至るまで、日本が世界に排出する唯一無二の文化は数多存在する。今日もなお、日本発の〇〇など新しいトレンドを常に発信し続ける。ただ、一般に先進国と呼ばれる日本が他の諸外国、特にアジア諸国やヨーロッパ諸国などと比べて独特の進化を遂げたある側面がある。それはグローバル化に伴うコミュニケーションに関すること。特に「優しさ」に関すること。日本で生まれ育ったとある個人の見解から、この優しさの「本質」について推察してみたいと思う。

どうして日本人は「優しい」のか

どうして日本人は「優しい」のか

日本人は「優しい」と一般に他国の人は口を揃える。もちろん、それぞれ個々に優しい性格を持つ人は多い。世界にもそういう国はたくさんあるのに、日本が「優しい」国という印象をもたれるのは、どうしてだろう。レストランやコンビニを訪れて誰もが感じる「おもてなし」の精神。細かなところに目の届くサービスを心がける日本の企業は多い。どんなに混み合っていても「ルールを守る」精神。嫌でもルールなら守るのが秩序と考えるのが日本のマナー。さらに、仮にどこかで財布を落としてしまっても、交番へ届けてくれる人がいる。誤って失くしてしまったものが見つかる可能性があるなんて、こんな状況、日本でしかありえない。治安がよく、礼儀正しく、丁寧な日本人の対応や習慣に触れると、「優しい」国である印象は確かに持たれるだろう。

ただ、この「優しい」という性質は「誰」に「どんな状況」でも通ずるわけではない。一般に、他国の方が触れる日本人の優しさは、親切心における優しさだが、これは日本人と日本人以外の外国の方が接触したときに顕著に現れる「国民性」で、日本人同士が直に接するとなると、その状況は一変する。

外国の方と日本人間のコミュニケーション

外国の方と日本人間のコミュニケーション

たとえば、外国の方が、街頭で困っていて、日本人に助けを求めるとする。すると、日本人は、多くの場合、努めて明るく、優しく、そしてカジュアルに接しようと心がける。親切に、困っている人を助けようとするのだ。たとえ相手の話す言語が理解できずとも。これはきっと多くの国でも同じことだろう。

日本人同士でのコミュニケーション

日本人同士でのコミュニケーション

ただ、これが対日本人となると、事態が大きく異なってくる。”実際の”日本人の他の日本人との在り方は、「いかに他と相容れずに過ごせるか」、「いかに他との接触を少なく、他と関与せずに生きるか」である。
つまり、日本人が外国の方同様のシチュエーションに陥っても、多くの場合、道行く誰かに声を掛けても、「親切に」接してもらえる確率が低くなることが多い。
日本人は、日本人相手では、できる限り接触をしないように心がける。駅のホームで困っている人がいようとも、急いでいるかそうでないかに限らず、日本人の多くは素通りをする。それは、可能な限り、それぞれの暮らしにおける問題を最小限に少なく遂行したいからという点に起因する側面が大きいように思われる。
”助ける”以前に”厄介なことに巻き込まれない”、”誰かが助けるだろう”と、他に介入しないことを優先する。

道行く犬すらも遥か遠い存在の日本

日本人同士のコミュニケーションにおいて、「他を相容れない文化」の顕著な例をひとつご紹介したい。

仮に公園などで犬を飼い主が散歩している光景に出くわすとする。

世界の一般的な常識であれば、日常かわいらしい犬に出くわしたら、飼い主に話しかけながら犬に接触しスキンシップを図っても、よほど不審な空気感でも孕んでいない限り、基本的には何ら問題ないことがほとんど。何ならその小さなコミュニケーションで新たな人間関係さえ生まれるかもしれない。

ただ、これがひとたび日本でとなると、散歩をしている犬にすら話しかけられない。日本では、どこの誰かもわからない、見知らぬ人が話しかけてくるというシチュエーションが、すでにNG。そんなシチュエーションが起きようものなら、話しかけられた相手は逃げ出してしまうかもしれないし、応答する人がいたとしても、身体的に精神的に、必要最低限の距離を測り警戒をしながら接触する。
欧米各国はもちろんのこと、韓国でも台湾でも中国でも東南アジア各国でも当然のように起こりうる身近なコミュニケーションなのに、日本だけこれができないのだ。

「建前」ってなに?相手を思いやる優しさが生み出した日本のコミュニケーションツール

「建前」ってなに?相手を思いやる優しさが生み出した日本のコミュニケーションツール

日本人の性格として特徴的な「周囲の目や他人の目を気にする」こと、「他人に可能な限り迷惑を掛けない」こと。特に後者は人としてあるべき素晴らしい姿で、これが当たり前のこととして教育を受け一人ひとりが心得る機会を得られる日本は幸せな国だろう。
ただ、「他に迷惑をかけない」ように、「人に良く見られたい」日本人は奇妙な慣習を生み出した。それが「建前」である。「優しさ」が故に、思ってもないことを話し相手に口走ることで、”良く見られようとする”性質のこと。

日本の企業に勤めていて、企業の同僚や上司と飲み会に行く機会があるとする。海外では会社の同僚などと食事などプライベートな付き合いをすることは一般的だが、日本ではそう多くない。他人を気遣い、相手からの見られ方を気にするが故に、あまりオープンな関係性にはなりにくい。

たとえば、大人数が参加する会社の飲み会で、席が隣になった方と少し世間話などで盛り上がって「今度また飲みに行きましょう」と言われたとする。
本当に親睦が強く深まって距離の縮まった相手であれば、もちろん、交流をさらに深めるために飲みに行くこともある。ただ、日本人のコミュニケーションの中には、”実際にはその気はないのにあたかもそうであるかのように繕う日本の慣習「建前」” が多分に含まれることがある。
せっかく楽しく交流が出来た相手に嘘をついているのではない。「優しさ」が故に、「本当は飲みに誘うつもりもない」のに、一度出来た関係性を良い形で継続させようと、こうした言い回しを使ったりする。

日本のグローバル化は親切心を自己防衛に変えた

日本のグローバル化は親切心を自己防衛に変えた

こうして日本人のコミュニケーションにおける少し変わったところをご紹介してきたが、日本人は「親切で優しい」、これは揺るぎのない事実である。日本人一人ひとりにそれぞれに宿る気持ちとして実在している。ただ、今や「島国・日本」という言葉で片付けられないほどにグローバル化し、あらゆる文化を取り入れ、どんなものでも日本流にアレンジを施し発達させ、日本ならではの数々の文明も起こし、現在の日本がある。こうして、どんなものでも著しいバリエーションを誇る日本が、ここ数十年間で急速な文明の発展を遂げた結果、文明の進化の速度に人間のコミュニケーションのレベルが追いつかなくなってしまったのかもしれない。

あらゆる文明・技術が発達し、日に日に目の前の世界が変わっていくような現代日本。さまざまなタイプの性格を持つ人々が共存する世界となり、親切心で手を差し伸べた「優しさ」が仇となることも大いに在りうる。これだけあらゆるものが発展した中で日本人が選んだ方法が「自己を防衛すること」なのであろう。
たとえ困っている状況を見ようとも、たとえ少し自分の気持ちを過剰に見繕ってでも、物事に齟齬が起きない形を最優先して生きるということが、結局は日本のコミュニケーションでは最も大きな鍵を握るのだろう。日本人なりのコミュニケーションは自己を防衛した上で成り立つことなのかもしれない。

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