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お台場のいまむかし

お台場のいまむかし

Update: 2016/10/18

東京屈指の観光スポットのお台場だが、開発が始まったのは数十年前のこと。現在のお台場に至る歴史を見ていこう。

かつては品川沖という海だったお台場

かつては品川沖という海だったお台場

お台場は埋め立てられてできた街だ。数百年前は品川沖とよばれる海。日本では物資を輸送する手段として船が使用されていた。品川沖には大型の貨物船が停泊し、小型の船に荷を積みかえて江戸に運んだのである。また、寿司には欠かせない「海苔」の原料となる海藻の産地としても知られていた。有名な浮世絵には、潮干狩りをする様子が描かれており、界隈は賑やかな港町であったことがわかる。

日本を揺るがした歴史的事件

日本を揺るがした歴史的事件

1639年から1854年まで、交易の窓口だった出島(現在の長崎県の一部)を除き、外国人の入国を禁じる法律があった。そんな中、1853年にアメリカ大統領の親書を携え、神奈川県の浦賀沖に開国を要求する四隻の軍艦がやってくる。来航した神奈川県の浦賀沖から江戸に迫る勢いだった使節団に、日本は1年の猶予を求めて追い返す。その1年の間に、彼らの侵入を防ぐための砲台建設が行われた。

お台場という地名の由来

お台場という地名の由来

時の政府は、江戸城を外国船による艦砲射撃から防御するため、砲台を建てることを決める。建設地となったのは土砂の堆積が激しく、船が航行しにくい品川沖。ここに5,000人を動員して人工の島を造り、11もの砲台を配備した。この地が「お台場」とよばれるようになったのは、こうした歴史背景に由来する。

実戦に使われることがなかった台場

実戦に使われることがなかった台場

長期間かけて建設された砲台だが、政府の方針が変わり日米和親条約が締結されたため使われることは一度もなかった。やがて台場は造船所として利用されたり、灯台が設置されたりなど当初とは異なる目的で利用されてきた。第二次世界大戦後には、戦災孤児の収容所が造られている。

今も残る砲台の跡

今も残る砲台の跡

建設時には11あった砲台のうち、殆どが埋め立てられて失われてしまった。しかし、今も第三と第六台場は遺構が現存する。「台場公園」は第三台場の跡地に整備された都立公園だ。高さ約5~7メートルの石垣の上に土手が築かれ、兵舎の礎石が残る。文献によれば、36ポンド砲が配置されていたという。

  • Daiba Park
    • 住所 1tyoume, Daiba, Minato-ku, Tokyo, 135-0091, Japan

東京でも有数の観光スポットに!

東京でも有数の観光スポットに!

1990年代になると、過密化する東京の人口増加や交通混雑などを柔和するために、臨海副都心の再開発計画が立てられる。テレビ局の社屋移転、レインボーブリッジや大型アミューズメント施設、ショッピングモールなどが次々に建設。1995年には新橋・有明間にモノレールが開業した。今後も2020年の東京オリンピック開催に向け、大型ホテルの開業や、大型複合施設の建設なども予定されている。

お台場の歴史を「東京みなと館」で知る

お台場の歴史を「東京みなと館」で知る

「東京みなと館」は、東京港の歴史や開発計画などを紹介する博物館だ。20階という高層に位置するため、眼下に広がる東京港や臨海副都心を望める。湾岸の巨大なコンテナ船のほか東京スカイツリー(R)や富士山、羽田空港といった遠景と一緒に、現在のお台場を360度ワイドに見渡すことができる。2016年6月30日に一度閉館し、2017年4月に新しい施設に衣替えして再オープンする予定だ。

  • Tokyo Port Museum
    • 住所 2-4-24, Aomi, Koto-ku, Tokyo, 135-0064, Japan
※記事掲載時の情報です。

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